投書:トイレシェルターで津波から助かりました(21歳・女性・大学生)

 先日、5月3日の南海大地震と大津波に関しては皆さんの知るところと思います。うちは高知県の海沿いにある2階建て住宅ですが、真夜中に大地震で大きく家が揺れ、揺れがおさまったと思ったら、津波警報が発令されました。

 ラジオをつけてみると、あと10分で大津波が来るとのことでした。家には私と年老いて寝たきりの祖母しか居ませんでした。両親と弟が同居しているのですが、大阪に出かけており留守でした。10分で祖母を高台まで避難させることは無理な状況で、おばあちゃん子の私は非常に困った状況に陥ったことを悟りました。

 でも、家の2階のトイレを津波対策シェルター仕様にしていたことを思い出しました。すぐさま、祖母をトイレに連れ入り、トイレの扉や窓を閉めて防水シャッターを閉じ、配水管などの防水弁を閉じ、トイレ内の給水タンクも蓋を閉じました。

 しばらくすると、ゴォーという音とともにドドーンと隣の家と思われる建材がトイレにぶちあたり、電気が消えて真っ暗になりました。津波の衝撃はそれから何回も続き、トイレは家から吹き飛ばされて海中に放り出されました。トイレが2回転、3回転したときは生きた心地がしませんでした。「大丈夫、このシェルターはコンクリートにぶつかっても壊れないから」と祖母を励まし、衝撃に耐えました。

 でも、しばらく経つと衝撃は全く無くなり、トイレが海上を漂っていることがわかりました。真っ暗闇の中でしたが、トイレの天板を外して懐中電灯を出し、非常食を食べて、給水タンクから水をとり、助けを待ちました。

 最後に役に立ったのは、天井裏に保存されていた、スプレー缶とヒモつきの風船でした。説明書を読むと、スプレー缶にはヘリウムガスが入っており、風船を膨らませてアドバルーンにして外に掲げ救助を呼べるとのことでした。

 祖母と「黒潮に流されているね。今頃は紀伊半島沖かな、志摩半島沖かな。」などと話していましたが、3日後に救助されたのは意外にもまだ四国の室戸岬沖でした。救助関係者に深く感謝しますとともに、津波対策トイレシェルターを開発したトスタムの皆様にも厚くお礼を申し上げます。(被災地の仮設住宅より)

投稿日: 2012/05/10 23:26:42 (JST)

※本記事は、対象となっている事柄について、無限に広がる未来の可能性の中のたった1つを描いているに過ぎません。 ですから、決して記事の内容を鵜呑みにしないでください。 そして、もし本記事とは異なる未来を想像したのなら、それを別の記事として書いていただけると幸いです。 このプロセスを通じて、私たちは未来についての視野を広げ、未来の可能性を切り開いていくことができるでしょう。

コメント

読み直してみて、素晴らしい記事だと思いました。細かい臨場感のある描写にしびれます。

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